1 year ago
一 小説をかかんと志すものにおのづから二種の別あるが如し。その一は十七、八歳まだ中学に通ふ頃世に流布する小説を読み行く中(うち)自分もいつか小説かいて見たくなりて筆を執り初め、次第に興を得やがて学業の進むにつれ遂に確乎としてこの道に志すに至るもの。
その二は既に高等専門の学業をも卒(お)へ志定(さだま)りて後感ずる事ありて小説を作るものなり。桜痴福地(おうちふくち)先生は世の変遷に経綸(けいりん)の志を捨て遂に操觚(そうこ)の人となりぬ。柳浪広津(りゅうろうひろつ)先生は三十を越えて後(のち)初(はじめ)て小説を書きし由(よし)聞きたる事あり。
夏目漱石(なつめそうせき)先生は帝国大学教授を辞して小説家となりし事人の知る所なり。然るにわれらが如きは二十(はたち)前後日常の書簡文も満足に(今でもさうですが)書けぬ中早くも小説の筆とりぬ。
唯書いて見たかつたといふまでの事、同級の生徒が写真ヴァイオリン銃猟(じゅうりょう)などに凝(こ)りしも同然当人だけは大(おおい)に志あるやうに思ひしかど、大人(おとな)から見ればやはり少年の遊戯に過ぎざりしなるべし。されば仲間のものにはその文才を惜しまれながら中ほどより止めてしまふ人もままあるならひなり。
一 その始め少年の遊戯より起りたればとて後年その人の作を軽(かろん)ずるにも当らず、成人の後大(おおい)に感憤して書いたものなりとてまたあながち尊ぶには及ばぬなり。善悪は唯その著述につきて見るべきなり。
»永井荷風 小説作法
